DESCENTE HISTORY
創造と挑戦
トップアスリートの輝かしい記録の裏にはウェア開発の進化があります。 イノベーションを求め、デサントが積み重ねてきたさまざまな挑戦。それは常に「創造と挑戦」の歴史でした。 常に時代の先にある物を創造し、求め、挑戦していく姿は今も脈々と受け継がれています。
1930-1979 スキーと共に成長した黎明期 It All Began with Skiing
デサントの前身である石本商店を設立。
綿布に防縮加工を施し、ウールタッチに仕上げたクリーム色の野球ユニフォームやトレーニングパンツなどの開発に成功。折からの野球ブームに乗り、ヒット商品となりました。
デサントが初めて本格的にスキーウェアの開発に着手したのは1954年。当時、日本人初のプロスキーヤーでありスキーウェアについて色々なアイデアを持つ西村一良氏をアドバイザリーに招き入れ、本格的なスキーウェアの開発に向け、試行錯誤が始まります。これが、「専門家のアイデアを製品作りに生かすべき」というデサントのマーケティング戦略の根幹である「頂上作戦*1」の始まりでした。いいものを作るという開発体制は、この一切の妥協を許さない西村氏との開発を通して生まれたのです。
*1:頂上作戦:世界の一流選手にデサントのスキーウェアを着せてブランドを広め、製品についてアドバイスしてもらい製品を改良すること。
Rain,Wind,Snowをbreakするということから名づけられた携帯用ウィンドブレーカー。折りたたんで袋の中にしまいこめるナイロン製のポータブルヤッケは当時大変画期的なものでした。デサントの実用新案商品第1号。
フランス語 「滑降」の意味。ブランドロゴであるスピリットマークは、スキーの基本技術である「直滑降」「斜滑降」「横滑り」を表現。基本に忠実なものづくりをという思いを表現するとともに、つねに最も優れたものに目を向け、時代の要求を先取りし、積極的に製品化してゆく果敢なデサントスピッリットのシンボルです。現在のスピリットマークは1968年に採用。
流体力学をスポーツウェアの開発に取り入れ、当時他にない立体裁断のダウンヒルスーツ開発に成功。風洞テストを何度も行い、空気抵抗の原因となるシワの発生を極限に減らすという開発は、まさに時代の最先端。 100分の1秒単位のレースを、選手とともに戦う開発がスタート。
デサントは機能性の追求のみに留まらず、デザインの世界へも新しい流れを築きました。1972年の札幌オリンピック公式マーク製作者の永井一正氏にデザインを依頼し、「輝流」を作成。「輝流」とは”光” ”輝く” 流れの事。今日の「アクションライン」の前身となります。
デモパンとはデモンストレーターパンツの意味。日本人の体型をカバー(足を長く見せる)し、ブーツに雪が入らない機能とシルエットを持たせた大ヒット商品。保温性と運動性能を両立させたパンツとして人気を獲得し、スキーパンツの代名詞となりました。
すばやい動きに追随するような立体裁断、ファスナー位置調整などによる運動性能の向上や、空気抵抗の低減などすべての開発を終結させたスキーレーシングスーツを発表。このスーツの性能は世界のトップレーサーが認め、「着用しなければ勝てないマジックスーツ」という神話となり、長いスキーの歴史の中でスーツがこれだけタイムに影響をするといわれた始めてのケースとなりました。その秘密はFIS(国際スキー連盟)が規定したルール(通気量)を極限で遵守し、かつ、空気抵抗を極限まで減らす為の素材開発やカッティング、デザインを徹底的に追求した開発力の成果でした。